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2009年2月

知らせる看板

お遍路さんの支援や遍路道の整備をしているNPO法人「遍路とおもてなしのネットワーク」(高松市)が、遍路道沿いに実のなる木を植える活動を続けている。果実を自由に食べてもらい、お遍路さんをお接待しようという狙いだ。JR四国の駅にも植樹の許可を得たが、苗木を購入する予算が限られており、NPOは木を寄付してくれる人を募っている。(西原正浩)
 植樹のきっかけは、NPO事務局長の松岡敬文さん(59)らメンバーが、スペインの世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼路」を歩いた時のこと。広がる畑ではブドウが鈴なり。ワイン用だったが、口に含むと甘い香りが広がり、疲れた体が癒やされた。「これなら四国にもある」。四国でも遍路道を歩いていると、お接待用にミカンなどが置いてあることがある。ただ、食べていいものなのかわからず放置されたのか、腐ったものもあった。そこで、直接木からとって食べられる取り組みを考えた。
 これまでに、道路脇や道の駅などに4県で計約40本を植えた。高知県安芸市では、地元商工会議所の女性会が、四季折々に実がなるようにヤマモモやビワ、イチジク、スモモ、ブルーベリーなど10種で計27本を、海岸や国道55号沿いに植えている。09年度中には、実を自由に食べられることを知らせる看板をかける予定だ。
 松岡さんは、遍路道の約1400キロが果物街道になることを夢見ている。しかし、公道では木の管理を誰がするかなどの課題があり、どこでも植えられるわけではないのが現状だ。また、NPOの特別法人会員をしているJR四国が、駅の敷地に植えることを許可しているが、苗木が十分に足りていない。松岡さんは「お遍路さんをもてなす四国の文化が育っていくよう、努めていきたい」と話している。問い合わせは同NPO(087・843・4445)へ。

朝日新聞

ちゃんと育つと良いですね。苗木。

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自民の看板

46議席を巡る55人の戦いが始まった大分市議選。22日の投開票に向け、各候補者は懸命に声をからし、国会議員の応援弁士同士の“ニアミス”も。一方、党をほとんどアピールしない陣営もあり、衆院選も控える中、微妙な温度差があるようだ。初日の15日の動きを追った。【金秀蓮、梅山崇】

 午後1時45分、市南部の富士見ケ丘ニュータウンの公園。社民党の福島瑞穂党首と衆院大分2区に立候補する重野安正幹事長の党のナンバー1と2が、党推薦の現職候補の集会に顔を出した。福島党首は「新自由主義から社会保障を大切にする社会に変えていこう」と、時に麻生太郎首相の批判をまじえ、国政中心に熱弁。重野幹事長が候補の人柄と実績に触れた。夕方の会見で福島党首は「衆院選を占う重要な市議選。重野さんの当選につながる戦いに」と訴えた。

 その公園から100メートル離れたバス停。同時刻、民主新人候補が市議会の定数削減を訴えていた。候補は吉良州司衆院議員(大分1区)の元秘書。同行した吉良議員は「吉良州司にお与え下さった力を、この新時代の地域を作る……」と、自身の名前も織り込みつつ、候補者支援に頭を下げた。民主は、大分3区に立つ横光克彦衆院議員ら県連幹部が候補者にマンツーマンで付き、各地をくまなく巡った。

 今月1日の北九州市議選で得票率を伸ばし候補者全員が当選した共産は、次期衆院選での目標は九州ブロックでの比例2議席獲得だ。仁比聡平参院議員(比例)は午後1時半、市中心部の病院前で新人候補の応援演説に立ち、「北九州市議選の“全勝”は麻生内閣の足元を直撃した。大分市政のゆがみに立ち向かえば、国の政治に突き刺さる」と力説した。

 一方の与党。衆院大分1区立候補予定の自民新人、穴見陽一氏はどの自民候補の出陣式にも出席しなかった。「要請があればはせ参じるつもりだったが……」と事務所。結局、1日かけて各陣営を見舞った。礒崎陽輔参院議員(大分選挙区)は選挙カーに乗り込んだが、全体的に党の動きは鈍い。自民関係者は「各陣営の選挙カーなどを見ると、市中心部では意識的に『自民』の名前を出してない気がする」。先月の北九州市議選で自民は惨敗。ベテラン現職候補の出陣式でマイクを握った平安正知・福岡県小郡市長は「北九州市議選で応援した候補は、上位当選確実と言われながら落選。自民の看板を背負ったから、無党派層の票が入らなかった。候補にそんな思いを味わわせぬよう、一人一人、壁を打ち破ってほしい」と激励した。

 前回と同様6議席の獲得を目指す公明は、松あきら参院議員(神奈川選挙区)が午後2時、明野緑地広場に駆けつけ、候補2人を激励。8日には太田昭宏代表も大分入り。「前哨戦」として全力投球するのは、衆院選比例の九州ブロックで、1増の4議席獲得を目指しているからだ。松議員は「2次補正予算案は定額給付金だけではなく、経済対策が盛り込まれた国民生活そのもの」と強調。反対する野党をけん制し、「与党とか野党とか言っている場合ではなく、一丸となって国民のために考えないと」とアピールした。

毎日新聞

革命起こしてくれないかなぁ

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動物園の休憩所 命名権

徳島市は十日、とくしま動物園に新設した休憩所の命名権売却先を高橋ふとん店(本社・徳島市川内町)に決めた。愛称は「ふとんのタカハシ こんどる休憩所」。売却額は百万円で、四月から二〇一二年三月末までの三年契約。同市有施設の命名権売却は初めて。

 休憩所の愛称は、園のシンボルとなっているコンドル舎に隣接していることなどから名付けた。四月上旬に愛称を記した看板を設置する。

 命名権売却は新たな財源確保が目的で、収益は園の運営費に充てる。昨年十二月から約一カ月間公募し、応募したのは売却先の一社のみだった。

 休憩所は鉄骨テント張り二百二十三平方メートル。正面ゲート北側のピクニック広場に総事業費千五百万円で十二月中旬に完成した。イベントを開いたり、来園者が昼食やだんらんを楽しんだりするスペースになっている。

 命名権とともに、休憩所のベンチ二十九脚の製作費に充てる寄付金(八十口、一口三万円)も募集し、一月末で締め切ったが、三十八口しか集まらなかった。残りは四月から再募集する。

徳島新聞

景気の悪い時代に命名権が流行るって、なんか変ですよね。

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開幕投手

巨人・内海哲也投手(26)が5日、インタビューに応じ、WBCに懸ける強い決意を激白した。世界最高峰の大会への参加は「巨人のエース」になるためにも必要な経験と断言。他を圧倒する練習量で自分を追い込む姿勢の原点、自らの「エース観」についても本音を語った。WBCでは最終メンバー入りと世界一を誓い、シーズンではG投の柱として2年ぶり2度目の開幕投手に名乗りを上げた。

 ―キャンプ第1クールが終了。WBCもあって調整が早い。
  「例年より2、3週間早くやっています。ダルビッシュも言っていたけど、もう(例年の)キャンプ中盤くらいの体になっている感覚です」

 ―1次候補だった北京五輪以上の熱意を感じる。
  「五輪はメジャーの選手が出なかったりするけど、WBCはマジでガチンコ。その魅力ですね。世界中が本気になって、トップクラスの野球人が出てくるガチンコの大会に出たいんです」

 ―前回大会は日本が優勝。今回のモチベーションに影響はあったか。
  「第1回の映像を見て、出れば絶対に自分が成長できると思いました。試合に出る、出ないは関係なく、あの舞台にいるだけで人間的にも野球人としてもすごく成長できる、と僕は思う。WBCに出て、一つレベルアップしたいんです」

 ―代表には各球団から主力が集まる。
  「例えばマー君(田中)も高卒で2年連続で活躍してどういう考えかが聞きたい。言動がすごく大人で、エースになろうとしている姿は見ていて勉強になります」

 ―自身は巨人のエースとして代表合宿に臨む。
  「正直、僕はまだエースと呼ばれるのは早いと思う。5、6年連続で2ケタ勝利を挙げてからだと思います。周りが“今日は内海だから大丈夫”と思う安心感を与える投手がエース。巨人のエースは重いものです」

 ―今季は上原(オリオールズに移籍)が抜けた。
  「あまり口で語らず、背中で語る人。上原さんという存在がエース。一緒にいるだけで安心感があって、いるだけでエースでした。去年は活躍できなかったけど、僕はいつも“上原さんだから勝てる”と思えました」

 ―上原が去った今季、早くから開幕投手と20勝を目標に掲げてきた。
  「上原さんがいなくなったら、グライシンガーじゃなく、僕が柱としてやっていきたい気持ちです。僕の中では一番上にエースがあって、(開幕投手や20勝は)エースになるために一つ一つクリアしていくものです」

 ―その過程においてもWBCは貴重な経験になりそう。
  「巨人のエースになるため、レベルアップの階段を上がっていくうえでも重要な大会だと考えています」

 ―オフの練習量は群を抜いていた。
  「3年連続2ケタ(勝利を)やってきた自信はあるけど、まだまだだと思う。だからこそ人一倍練習しています」

 ―14勝が過去最多だが、目標は20勝と大きい。
  「自分にプレッシャーをかけないと頑張れないタイプ。自分で自分をマインドコントロールしています(笑い)」

 ―エースになるには、まず結果が求められる。
  「結果はもちろん、練習態度や姿勢も大切。まだ僕はチャラい(苦笑い)」

 ―主力投手だが、練習量は若手の比ではない。
  「中学の時、野球が本当に大好きで試合に出たいのに、実力がなくて出られなかった。それでもプロ野球選手になりたい自分がいました。だから初心を忘れず、下を見て歩こうと。何苦楚(なにくそ)魂でやってます」

 ―中学で補欠、プロでも2軍を経験したが、今は世界一を目指している。
  「今思うと恥ずかしいけど、一度、入団した時に巨人に入っただけで満足してしまった。テングになっていた時、母方のおばあちゃんが末期がんで余命半年、と言われたんです。おばあちゃんの助けを得て気づきました。それしか、方法がなかった。おばあちゃんがいなかったら、今の僕はないんです」

 ―生きているうちに雄姿を見せようと。
  「2週間、遅かったんです(※)。悔やんでも悔やみきれない。もう悔しい思いはしたくないから、1日も無駄にしない。命を懸けて野球をやろうと思いました」

 ―その後は順調に成績を上げ、WBCの1次候補に入った。今年は長い1年になる。
  「何が何でも(最終)メンバー入りして世界2連覇の手助けをしたい。ジャイアンツの看板を背負っていることを忘れないように。シーズンでは開幕投手。ホームの開幕は考えただけでビビっちゃうけど、ビビリだからたくさん練習するんです。長い1年にしたいですね。最後まで、日本一までいければ幸せです」

 ※祖母・晴子さんは04年5月5日に81歳で死去。内海は5月19日の横浜戦(横浜)に先発予定だった(試合は雨天中止)。

 ◆内海 哲也(うつみ・てつや)1982年4月29日、京都府生まれ。26歳。敦賀気比高から東京ガスを経て、03年に自由獲得枠で巨人入団。06年から3年連続2ケタ勝利、07年には初の開幕投手を務め、最多奪三振のタイトルを獲得。186センチ、84キロ。左投左打。

(2009年2月6日15時28分  スポーツ報知)

早く春にならないかなぁー

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